山に這い上がり助かった命

女性部特別訪問例会は、釜石市の(有)宝来館代表取締役岩﨑昭子さんを訪問しました。岩崎さんからは東日本大震災の時の様子から宝来館が被災し、ご自身も津波にのまれながらも、命からがら逃れ、再建まで至った経緯を話していただきました。

宝来館は大槌湾に面し根浜海岸を一望できる場所に建っています。根浜地区は64世帯170名弱の方々がお住まいでした。3月11日、東日本大震災が起こ り根浜地区を津波が襲ってきました。それはまるでコップの水があふれるようにやってきて、これが一度ではなく7回も繰り返しきました。建物は流され、所々 で火の手があがり火災が発生。大槌の町は何もなくなり一変してしまいました。海岸の近くに建っていた4階建ての宝来館も2階まで被災しました。岩﨑さんは 宿泊客と従業員を裏山に避難させましたが、津波に気づいていない近所の人たちに知らせるため、いったん登った裏山をおり波にのまれました。波の中でもがく うちに光が見え、光の方向へ泳ぐ中で、運も味方に付け、自力で山に這い上がり助かりました。
貰うだけでは嫌。やっぱりみんな、働きたい

1階、2階は水に浸かりましたが3、4階は避難所として使うことができました。そこで震災翌日から3月末まで、約120名の方々とそこで一緒に避難生活 をしました。その後それぞれの避難所に移り、支給される食料を毎日受け取り食べていました。しかし毎日支給され食べることにだんだん苦痛を感じるようにな ります。更に震災以前一緒に働いていた仲間たちが「働きたい」という気持ちを抱くようになりました。
その頃、支援物資でいただいた「りんご」が日にちを追 うごとに傷んでいるのを見て、折角いただいたりんごを「どうにかして食べてもらいたい」と思うようになりました。
岩﨑さんはさっそく当時取材に来ていたス タッフの方に相談し、お菓子作りの先生を紹介してもらいます。そして現地に来てもらい皆でアップルパイやお菓子作りの勉強をし、5月に「山カフェ」を立ち上げました。また、避難所ではカップめんやおにぎりしかなかったため、今度は「郷土料理を食べてもらおう」と声があがりました。「じっとしているだけではなく、みんな働きたかったのです。」と当時のことを振り返ります。
宝来館があり続ける意味

避難所として開放していた宝来館が解散する時、電気工事の方が「おかみさん避難所を解散するならこのままでいいから私たちを泊まらせてくれませんか?」 とお願いされました。「うちはお風呂も水も出なく、生活できる状況ではありませんよ」すると「私たちは、毎日車の中で足を折って寝ています。でもみんなに電気を届けたいのです。そのためにも従業員に足を伸ばして寝かせてあげたい」と言われ、この被災した宝来館がまだ人の役にたつことができる。必要としてくれる人がいると思いました。
必要とされることが明日生きる糧、そして目標でした。それなら必要とされることをやろう。そして宝来館を再建しようと決意しま す。
たくさんの方々との出会いとご支援があり、現在の宝来館があります。2年が経ち、現在14.5メートルの防潮堤をつくる計画があります。海の目の前にある宝来館は、5階建ての防潮堤ができるとここでお客様を待つ意味がなくなる。岩崎さんは震災の時、山に逃げて助かりました。「守られる物でそこに住むので はなく、自分たちの自覚のもとで逃げる場所を作り、いざというときは命があればいい。」被災しても同じ場所でやり続けたいという岩﨑さんの思いを話していただきました。
胸に刻んだ事実

その後、新鮮な海の幸の食事を参加者全員で堪能しました。昼食後は小雨の中、バスに乗り鵜住居の防災センターと被災地を見学しました。バスの中では、ボランティアガイドを務めていただいたお二人に、甚句を披露していただきました。甚句の歌詞は被災した当時の想いが込められています。また防災センターの建物の中は当時のままの状態です。ガイドの方よりご自身の身内の方も被災し、辛い状況の中で震災の状況を語っていただきました。
震災から2年と5ヶ月が過ぎました。時間が経つにつれ震災に対する気持ちもだんだん忘れ去られようとしている今、参加した方々は改めて胸に刻まれる機会になりました。